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岩谷村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国額田【ぬかた】郡のうち青木川支流の大井野川上流域「三河志」によれば「岩谷古屋敷,天野宗右衛門貞直・同孫惣貞孝・同孫左衛門貞行・中根平右衛門正国・中根平太郎正吉」と見え,中世以来天野氏・中根氏の領有岡崎藩領村高は,「寛永高附」では岩屋村と見え140石余,寛文4年「岡崎郷領内在々之名」172石余,「元禄郷帳」139石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに172石余「岡崎藩万書上」では,寛政元年の人数136,牛6「三州岡崎管内記」によれば,東山中手永に属し,享和年間の収納定俵172俵余地内には,真宗高田派西方寺があり,境内に太子堂・観音堂をもつ住職巌谷山人は,寛保元年に「懐玉三河州地理図鑑」を板行また,岩谷山の岩洞に観音を安置明治7年の戸数32・人口127(額田郡誌)同11年岩中村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩谷村(近世) 江戸期~明治8年の村名蒲原郡のうち阿賀野川中流右岸戦国期の史料には「ゆわや」と見える会津藩領村高は,文禄3年高目録帳に岩屋と見え64石余,「元禄郷帳」32石余,「天保郷帳」101石余文化初年頃の戸数31,寺社は平等寺・若宮八幡宮があり,平等寺境内にある薬師堂は越後国最古の木造建築物で,また,近くに「将軍杉」と呼ばれる杉の巨木がある(新編会津)田畑が少なく,林業・船乗り稼業を主としていた明治8年の戸数34・人口184(若松県管内地誌)同年岩津村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」